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メッセージ >
聖書の学び
Title
第50課 再び来られる主
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2008-12-12
読むみことば: マタイ24:32-35
覚えるみことば: 黙示録22:20
教育目標
聖書を通して再び来られる主を信じるようにし、再臨についての聖書の預言と今日現れているその前兆を知って、主を迎える準備をする。
1. 成就される再臨の事件
今から二千年前、すべての人類を罪と死から救おうとこの地上に来られたイエス・キリストは、十字架につけられて死なれた後、よみがえられました。死者の中からよみがえって、眠った者の初穂となられたキリストは、天に上って神の御座の右に着座しておられますが、さばきのために再び来られます。その時は、天に上って行かれるのを見たときと同じ有様で、またおいでになります(使徒1:11)。
今まで聖書に記された預言はそのまま成就されてきました。ただ主の空中降臨と七年患難、地上再臨と千年王国、白い御座の大審判など、今後なされるいくつかが残っています。ですから、信仰のある聖徒は、復活を信じて、再臨と天国を信じるので、天国の望みをもってキリストの再臨を慕って生きていくようになります。[第一コリント15:19]に「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。」とあります。これは、神の子どもたちはこの地上を望まないので、さまざまの情欲や欲望を十字架につけてしまい、罪と血を流すまで戦って捨て、命令を守って行なうなど、神の御前で責められることのない人になるために、犠牲になって自制して生きていくからです。したがって、主がいつ、どのように再臨されるかという問題は、どうしてもすべての聖徒の関心事になります。
それにもかかわらず、再臨を慕うどころか、再臨について説教するなら怖がって、聖書に記されたとおり「主がすぐ来られる」と伝える人を異端だと思うことがあります。しかし、まことに神のみことばを信じる聖徒なら、聖書のあちこちに記されているように、主の再臨が近づいていることを悟って、目を覚ましているようになります。もし目を覚ましていなければ、主の日が夜中の盜人のように来て、救われないからです。
[第一テサロニケ4:16-17]に「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」とあります。このようにすばらしくて勇壮な栄光と勝利の御姿で、王の王、主の主であられるイエス・キリストが空中に再臨されるとき、はたしてどんなことが起こるでしょうか?
1) キリストにある死者のよみがえり
イエス・キリストを受け入れて死んだ人は、主の空中再臨の時によみがえるので、聖書はその人たちを指して、「眠った者」と言います(第一コリント15:20)。このような者の霊と魂は、主が天から下って来られるとき、一緒に連れて来られます。この時、墓に葬られていたからだは朽ちないからだによみがえって、空中に引き上げられ、主とともに来た霊と魂と結びついて、完全な復活のからだになります。したがって、主の再臨があったら、キリストにある死者が、まず初めによみがえるのです(第一テサロニケ4:14-16)。
2) キリストにあって生き残った者の携挙
キリストにある死者がよみがえれば、次は信仰のある人で、まだこの地上で生き残っている人が、たちまち、一瞬のうちに変えられて雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会います(第一コリント15:51-58、第一テサロニケ4:17)。
私たちは自然の中で、復活と携挙について間接的に感じられます。うごめいているセミの幼虫やウジが、セミやハエに変えられることを通して、または、神は水のしずくを引き上げ、それが神の霧となって雨をしたたらせることを通しても(ヨブ36:27)、想像することができます。このように、神の力では復活することと携挙、すなわち、空中に引き上げられることは、決して難しいことではありません。
2. 再臨についての聖書の預言
聖書に「神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。」(アモス3:7)とあり、「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。」とあります(黙示録1:3)。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようで(第二ペテロ3:8)、私たちの齢は七十年、健やかであっても八十年です(詩篇90:10)。したがって、人類の永い歴史の中で、終わりの時に生きている私たちにとって、再臨はさらに差し迫った事実であり、神のほうからも再臨はすぐあることなのです。
したがって、聖書では主がすぐ来られることについて、あちこちで預言しています。[ヘブル10:37]に「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。」とあり、[ピリピ4:5]には「あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。」とあり、[ヤコブ5:8]では「あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。」と勧めています。また、[黙示録3:11]には「わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。」とあり、、[黙示録22:20]にも「しかり。わたしはすぐに来る。」とあります。
このように、再臨の時が近づいていることをあちこちで強調しているにもかかわらず、今日、主がすぐ来られると伝えれば、神を信じない世の人はもちろん、神を信じていると言う人々の中でも、試みる人々がいます。神を愛して命令を守って行なう麦のような信者は、主の再臨を慕って待ちますが、世と友になって生きている殻のような信者は、再臨が恐ろしく感じられるからです。聖書には、主が花婿であり、信じる者は花嫁だと書いてあるのに、花婿が来ることを慕っていない花嫁がいるでしょうか? 幸いにも、目を覚ましている主のしもべと聖徒たちは神と交わって祈っているので、時が近づいていることを悟って、熱心に花嫁の備えをしているので、まことに感謝なことです。
しかし、確かに知らなければならないことは、[マタイ24:36]に「ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」とあるので、「主が何月何日何時に来られる」と惑わす人々を警戒しなければなりません。また、闇の中にいないなら、その日が、盗人のように襲うことはありませんが、闇の中にいれば盗人のように襲う(第一テサロニケ5:2-4)ということを悟って、いつも目を覚まして身を慎む賢い人にならなければなりません。
ノアの洪水の時、世の人々はノアが箱舟に入った日まで悟れなかったのです。しかし、義人だったノアは神とともに歩んだので、神が洪水に備えて箱舟を造るように命じられたことに従い、結局ノアとその家族は救われました。私たちはこのような聖書の出来事を通して「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。」(マタイ24:37)と言われた主の声を聞いて、目を覚ましている人にならなければなりません。
3. いちじくの木のたとえ
いちじくの木のたとえは、イスラエルの歴史を通して神のみこころを伝える大切なみことばです。聖書に預言されたとおり、いちじくの木に下された呪いはイスラエルの滅びとして成就され、いちじくの木の枝が柔らかになって、葉が出て来るということはイスラエルの独立によって実現されました。また、「これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」(マタイ24:33)と言われたので、主の再臨が近いことを信じなければなりません。
[マタイ21:18-19]を見ると、イエス様がエルサレムに入ってこられるとき、実のないいちじくの木を見て「おまえの実は、もういつまでも、ならないように。」と言われると、たちまちいちじくの木は枯れたことがわかります。それなら、いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともないイエス様が、実のないいちじくの木を呪われた理由は何でしょうか? 当時、パリサイ人と律法学者は心に信じられる信仰はなく、知識的な信仰をもって形式的な律法だけを強調しました。このように行ないのない信仰は死んだ信仰であり(ヤコブ2:17)、父なる神のみこころを行なわなければ天の御国に入れないので(マタイ7:21)、彼らが救われないことをたとえで言われたのです。
結局、ユダヤ人は神の御子であるイエス様を受け入れないで、かえって十字架につけて殺しました。そして、その血はイスラエルとその子どもたちの上にかかって、神の呪いが臨んでしまいました(マタイ27:25)。それで、A.D.70年頃、イスラエルはローマによって滅ぼされ、イスラエルの宮が石がくずされずに、積まれたまま残ることはなく、イスラエルの民は世界各国に散って住むようになりました(マタイ24:2、ヨハネ19:23)。その当時、ローマが宮の崩れを記念して残しておいた西の城壁の一部は今日、イスラエル民族が涙で祈っている場所、「嘆きの壁」として残り、歴史的な事実であることを証ししています。
その後、イスラエル民族は最後まで神を捨てないで、律法を守って行ない、多くの苦しみを受けました。はなはだしきは、第二次世界大戦の時、約600万人のユダヤ人がナチによって虐殺されるなど、まことに惨めな状況でも神を切に思って捜しました。ついに時になると、神が約束されたとおり、散っていた民を集めてイスラエルを独立させてくださいました。1948年5月14日、荒れ果てた砂漠、敵国に囲まれていた小さい地に、イスラエルを建ててくださった神は、あっという間に世界的な先進国にしてくださいました(イザヤ49:8、エゼキエル38:8)。
このように完全に滅びてしまったイスラエルが約1900年が過ぎた後、再び建てられたということは、呪われたいちじくの木の枝が柔らかになって、葉が出て来たということであり、神の預言どおり成就された驚くべきことです。いちじくの木の葉が生い茂れば、夏が近づくことがわかるように、イスラエルが独立して先進国になったので、主の再臨の時が近づいていることを悟りなさいというみことばです。また、「これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。」(マタイ24:34)とイエス様は言われました。ここで「この時代」とは、イスラエルが独立した今の現代、あるいは、イスラエルのヨベルとしてすべてが回復して自由を味わい、うれしく楽しい年など、いくつかの解釈が考えられます。
したがって、今日、聖書に記されたとおり現れる多くの前兆を通して、主の再臨が近づいていることを悟り、いつも目を覚まして祈り、花嫁の備えをする幸いな聖徒になりますように。
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