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メッセージ >
聖書の学び
Title
第28課 求めなさい、捜しなさい、たたきなさい
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2008-07-11
読むみことば: マタイ7:7-11、ヨハネ15:16
覚えるみことば: マタイ7:7
教育目標
神のみこころに従って熱心に求めて、捜し、たたいて心の願いに答えられ、神に栄光をささげる聖徒になる。
たとえ悪い親であっても、子どもに良い物を与えようとするのが人の常です(マタイ7:9-11)。まして愛そのものであられる神が子どもたちに良い物を下さらないでしょうか。しかし、神は正しい方なので、霊の世界の法則である神のみことばに従って行なわれます。すなわち、求めてこそ与えてくださり、受けるにふさわしい器になってこそ下さるのです。
したがって、「求めなさい。そうすれば与えられます。」と約束された神の御前に、求めるすべてのことに答えられるには、神のみことばに従って求めるべきです。それでは、何をどのように求めなければならないのでしょうか?
1. 求めなさい。そうすれば与えられます。
1) 神の御顔を求めなければなりません。
「神の御顔を求める」とは、心の戸をあけて神を捜し、神を知って、神の御声を聞くことを求めるという意味です。神は天地万物と人を創造した後、人に地を従えてすべての生き物を支配するように祝福されました。しかし、アダムが聞き従わなかったので罪が世に入り、それによって死が入り、全人類が罪人になってしまいました。それで、神は滅びの道を歩むしかなくなった全人類を救うために、イエス・キリストをこの地上に遣わし、すべての罪を贖うようになさったのです。
[黙示録3:20]で、私たちの救い主イエス様は「わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」と言われています。誰でも心の戸をあけてイエス・キリストを受け入れ、その名を信じれば、すべての罪が赦されて賜物として聖霊を受け、神の子どもとされる特権を持つようになるという意味です。
したがって、私たちは熱心に神の御顔を求めて、失った神のかたちを取り戻して、神の愛と恵みのうちに祝福された生き方をしなければなりません。
2) 神の国と義を求めなければなりません。
[マタイ6:31]以下に「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」とあります。
それでは、「神の国とその義とを求める」とはどんな意味なのでしょうか? 神は滅ぶしかない人の子らに、イエス・キリストによる救いの道を開いてくださり、神の子どもとされる特権を取り戻し、天国の国籍を得て天国の民になるようにされます。
したがって、「神の国を求めなさい」とは、すべての人が神の子どもになるように、福音化のために祈りなさいという意味です。また、「神の義を求めなさい」とは、神のみことばどおり行なう正しい人になるように祈りなさいという意味です。このように、悪はどんな悪でも避け、御霊の願うことに従って真理のとおり行ない、神の国を実現するために祈れば、[第三ヨハネ2]にあるように、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康である祝福が臨むのです。
3) 働き人は使命を果たすために求めなければなりません。
神の国と義とを求めた後は、神の働き人になるために祈るべきです。また、働き人になった人は、与えられた使命をよく果たすために求めなければなりません。
[ヘブル11:6]には「神を求める者には報いてくださる」とあり、[黙示録2:10]では「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」と約束されました。神の国で与えられる報いは、この地上で受けるものとは比べられないほど大きくてすばらしいものであり、永遠のものです。したがって、各自の持ち場で信仰の欲を持って、神の尊い働き人になるために祈り、与えられた使命を忠実に果たさなければなりません。
4) 日用の糧を求めなければなりません。
私たちが神の国と義とを求めた後は、自分に必要な糧、住まい、事業、職場の祝福、家族の健康、物質などを神に求めなければなりません。神は愛する子どもたちが祝福されて生きるように、すでにイエス・キリストによってあらゆる貧しさと病気を贖ってくださいました。したがって、神の子どもたちは衣食住、および生活に必要なものなども神に求めて、豊かで、健康で、すべてのことに栄えなければなりません。
しかし、一つ気をつけるべきことは、ただ神の栄光のために求めなければならないということです。[ヤコブ4:3]に「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」とあるからです。
2. 捜しなさい。そうすれば見つかります。
「捜す」とは、何かを失くしたとき、どこにあるのか調べることを言います。それでは、私たちが何を失くしたので、神は「捜しなさい」と言われるのでしょうか?
最初の人アダムは神のかたちに造られて、いのちの息を吹き込まれた人でした。それで、霊である神と交わりながら、神が下さった祝福を思いきり受けて生きていました。ところが、神に聞き従わなかったので、罪から来る報酬である死が臨むようになりました。つまり、人の主人であった霊が活動をやめて、神のかたちを失ってしまったということです。
アダムひとりの不従順によって、アダムの子孫であるすべての人も霊が死んで、神と交わることができなくなりました。それで、神が創造された人間らしく生きられなくて、サタンが支配するままにむなしいものを追い求めて、堕落した生活をするようになりました。
私たちが人間らしく生きようとするなら、死んでいた霊が生き返り、失った神のかたちを取り戻さなければなりません。罪によって霊が死んで、人間にとってすべてであることが行なえなくなったので(伝道者12:13)、神のかたちを取り戻して、いつも真理の中を歩み、聖められていかなければならないのです。
それでは、どのように捜すべきでしょうか? まずはイエス・キリストを受け入れて、賜物として聖霊を受けてこそ、死んでいた霊が生き返ります。そして、[ヨハネ3:6]に「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」とあるように、肉を捨てて、御霊によって霊を生んでいかなければなりません。
「御霊によって霊を生んでいく」とは、御霊の願うことに従って、真理のとおり行なうということです。たとえば、自分の心の中に憎しみがあるならば、聖霊は「憎しみを捨てて愛しなさい」と心をたたかれます。聖霊の声に聞き従って、憎しみを捨てて愛するようになれば、心が愛という真理の知識で満たされるようになります。このように肉を捨てて真理のとおり行なっていくことが、すなわち、御霊の人に変えられる過程であり、失った神のかたちを捜す過程です。
3. たたきなさい。そうすれば開かれます。
[マタイ7:7]に「たたきなさい。そうすれば開かれます。」とありますが、何をたたきなさいというのでしょうか? 「たたく」とは、まさに神の心をたたきなさいということです。神に喜ばれることとは、私たちが悪を捨てて命令を守り、真理の中を歩むことです。したがって、「神の心をたたく」とは、神の命令どおり守り行なうことを言います。このように神の心をたたいて神に喜ばれると、神は天の窓を開いて驚くべき祝福を下さいます。
したがって、聖霊を受けた神の子どもたちは、神のことばを熱心に聞いて悟り、守り行ない、たましいに幸いを得るだけでなく、神の心をたたいて、何でも求めることに答えられ、すべてに栄える人生にならなければなりません。
愛する聖徒の皆さん、神のみこころを追い求めて、すべてのことを信仰によって熱心に求めて、捜して、たたく幸いな聖徒になり、神が備えられた祝福をみな受けて、思いきり栄光をささげられますように、主の御名によって祈ります。
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