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聖書の学び
Title
第10課「いばらの冠をかぶって手と足に釘を打たれたイエス様」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2015-03-20
読むみことば: マタイ27:29_30
覚えるみことば: 第二コリント10:5
参考にするみことば: マルコ9:45_47
教育目標: イエス様がなぜいばらの冠をかぶって、両手と両足に釘を打たれなければならなかったのか、その霊的な意味を知るようにする。
王冠は王の威厳と高貴な身分を表します。必ずしも王冠でなくても、軍隊では将軍が威厳と権威を表す帽子をかぶるし、学校では学位を受けるとき、角帽をかぶります。このように人の身体の最も上の部分である頭に冠をかぶせることには、特別な意味があります。ところが、イエス様は長くて硬いいばらで編んだ冠を頭にかぶって、両手と両足に釘を打たれました。
1. イエス様がいばらの冠をかぶられた理由
マタイの福音書27章を読むと、総督ピラトはイエス様に罪がないことを明らかに知っていながらも、暴動になりそうなので、恐れて十字架刑を宣告してしまいます。するとローマの兵士たちはイエス様の着物を脱がせて、緋色の上着を着せた後、頑丈ないばらを編んで頭より小さくして、イエス様の頭に押しつけてかぶらせます。この時、鋭いいばらが肉に食い込むと、イエス様の顔は血まみれになりました。それでは、神がなぜ愛する御子イエス様がいばらの冠をかぶって苦しみながら血を注ぎ出すようにされたのでしょうか?
第一、人の思いから出て来る罪を贖うためです。
アダムとエバが神と交わって御声を聞いていた時は、ただ神のみこころのとおりに思って、従って、罪を犯しませんでした。しかし、蛇に惑わされてサタンが吹き込む思いを受け入れると、直ちに罪をはらむようになりました。前はあえて考えもしなかった善悪の知識の木が、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかったので、結局は神のことばに逆らってしまいました。このように敵である悪魔・サタンは今でも人の思いを通して罪を犯させるようにしています。
人の頭には記憶装置があって、生まれてから見て聞いて学んだものを感じとともに入力します。これを「知識」と言います。この知識をたましいの働きによって再生したものがまさに「思い」です。
ところが、人はそれぞれ成長した環境と、見て聞いて学んだものが違うので、入力された知識も同じではありません。同じことを学んでも、ひとりひとりがどんな感じとともに受け入れるかによって、価値観も変わってきます。
このような人の知識と思いを調べてみれば、神のみこころに逆らうものが多いです。たとえば、世では自分が高くなるためには、あらゆる手段と方法を使って人を抑えて立とうとします。しかし、神はだれでも自分を低くする者は高くされると言われました(マタイ23:12)。また、人々は敵を憎むことが当然だと思っていますが、神は「敵をも愛しなさい」と言われます。
この時、神に属する真理の思いを「御霊による思い」、これと反対になる真理でない思いを「肉の思い」と言います。敵である悪魔・サタンは人の肉の思いを支配して、神の働きを妨げて信仰を持てないようにします。世と友となって罪を犯し、永遠の死に至るように惑わします。したがって、人のさまざまの思弁と、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させてこそ、真理を追って信仰の人、御霊の人になれるのです(第二コリント10:5)。
これを根本的に解決するためには、どうするべきでしょうか? 世の真理でない思いから始まる肉の欲と目の欲、暮らし向きの自慢を捨てなければなりません(第一ヨハネ2:16)。
イエス様は人の肉の思いから出て来るすべての不正、不法、罪と悪を贖うために、頭にいばらの冠をかぶられ、血を注ぎ出してくださいました。イエス様の尊い血だけが人の罪を贖うことができるので、いばらの冠をかぶって血を注ぎ出されることによって、私たちが思いを通して犯すすべての罪を贖われたのです。
第二、私たちに良い冠を与えてくださるためです。
天国には神の子どものために備えられている冠がたくさんあります。この地上でも、競技に出場すれば、参加者全員に与える参加賞があり、金、銀、銅メダルなど、順位に従って与えるいろいろな賞があります。
このように天国で受ける冠の種類も多様です。まず、[第一コリント9:25]に「また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」とあるように、「朽ちない冠」があります。これは、競技に参加したすべての選手に参加賞を与えるように、イエス・キリストを信じて、罪と戦ってそれを捨てようと努力した神のすべての子どもたちに与える賞です。
次に、罪を捨ててみことばどおり生きて、神に栄光を帰した人に与える「栄光の冠」があって(第一ペテロ5:4)、この上なく神を愛して、死に至るまで忠実であり、悪はどんな悪でも避けて聖められた人々に与える「いのちの冠」があります(ヤコブ1:12、黙示録2:10)。
そして、使徒パウロのように、聖められて、ただ信仰によって神に喜ばれ、使命をよく果たした聖徒たちは「義の栄冠」を受けます(第二テモテ4:8)。また、「金の冠」がありますが(黙示録4:4)、これは完全に聖められて、全家を通じて忠実である信仰、永遠に変わらない金のような信仰を持っている人に与えられます。
愛なる神は天国に数多くの冠を備えておかれました。私たちがこの世で生きている間、どれだけ罪と戦って捨て、使命をよく果たして神に栄光を帰したかによって、それぞれ違う冠を与えられます。イエス様がいばらの冠をかぶって血を注ぎ出してくださった愛を信じるので、肉の欲のために心を用いないで、正しい生き方をし(ローマ13:13_14)、御霊によって歩み(ガラテヤ5:16)、たましいに幸いを得ていて、神からいただいた使命をよく果たすほど、天国で偉い人になり、良い冠を受けます。
神が私たちのために備えられた冠を受けるには、それにかなう資格を備えることがまことに大切です。悪はどんな悪でも避けて聖められ、全家を通じて忠実であれば、最も良い冠を受けるようになります。
2. イエス様が両手と両足に釘を打たれた理由
イエス様が木の十字架を負ってゴルゴタの丘の処刑場に着いた時のことです。ひとりのローマ兵士が鉄の釘を持って、もうひとりの兵士は槌を持って現れました。そして、百人隊長の号令に合わせて、イエス様の両手と両足に釘を打ち込みました。何の罪もないイエス様は木の十字架にかけられるために、鉄の釘が両手と両足の肉を突き破る苦しみにあわれなければなりませんでした。
このようにイエス様が手と足に釘を打たれた理由は、私たちが手と足で犯した罪を贖うためでした。思いを通して心に罪と悪を受け入れると、手と足を動かして罪を犯すので、「罪から来る報酬は死」という霊の世界の法則に従って、地獄に落ちて永遠に苦しむからです。
イエス様は「もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちに入るほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国に入るほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。」と言われました(マルコ9:45_47)。
今日、人々が手と足で犯す罪がどれほど多いでしょうか。憤れば暴力を振るい、盗みやギャンブルで身を滅ぼす人もいます。ひどい場合は訳もなく人を殺して銃を乱射し、放火を繰り返すなど、想像できない罪と悪を行っても、罪の意識を感じません。
このように手と足で罪を犯して地獄に行くよりは、いっそそれを切り捨てて、罪を犯さないで天国に行ったほうがよいのです。また、目で良いものを見ればむさぼりが起き、見てはいけないものを見ることによって姦淫もします。ですから、罪を犯して地獄に行くより、いっそ目をえぐり出してでも、罪を犯さないで天国に行ったほうがはるかによいということです。
このように厳しく罪を戒められたイエス様は、すべての人が救われるように、何の罪もなく木の十字架にかけられました。むちで打たれて、いばらの冠をかぶられ、両手と両足に釘を打たれて十字架刑にあわれたのです。このような主の愛と恵みに感謝して、二度と罪を犯すことのないように、ただ真理によって心を守り、いつも勝利する生き方をしますように。
* まとめと適用
1. 神のひとり子であるイエス様はなぜいばらの冠をかぶらなければならなかったのでしょうか?
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2. イエス様が両手と両足に釘を打たれた理由は何でしょうか?
____________________________________________________________________________
3. 互いに合うものどうし線でつないでください。
朽ちない冠 三天層
栄光の冠 一天層
いのちの冠 新しいエルサレム
金の冠 二天層
義の栄冠 パラダイス
* 今週の課題
イエス様は十字架の上で七つのことばを残されました。それぞれに私たちが覚えておくべき霊的な意味がありますが、次回は第一と第二のことばを学びます。[ルカ23:32_43]を読んできましょう。
* 「用語」を知って力にしましょう!
「肉の欲」とは? 肉に従って罪を犯そうとする属性である。人の心には憎しみ、高ぶり、憤り、怠惰、姦淫など罪の属性があるが、これが誘発される環境に置かれれば、肉の欲が出て来る。
「目の欲」とは? 目で見て耳で聞くことを通して心が揺れ動き、肉に属するものを追い求めるようにする属性である。目の欲を断ち切らないで受け入れ続ければ、肉の欲を誘発して、結局罪を犯すようになる。
「暮らし向きの自慢」とは? 現実のすべて享楽を追って、自分を目立たせるために自慢しようとする属性のことを言う。
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