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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第11課「あなたのよいと思うように」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2014-11-21


読むみことば: 第一サムエル24:4
覚えるみことば: 第一サムエル16:7
参考にするみことば: 使徒13:22
教育目標: 自分が見ての善でなく、神が喜ばれる善をすべてのことにおいて追い求めて、神のお心にかなう聖徒になるようにする。


世には人のほうからは善のようでも、神のほうからは善でないこともたくさんあります。真理を明らかに知らなければ確かに善のようですが、神のことばに照らしてみれば、悪であることもたくさんあります。
もちろんこれと反対の場合もあります。ダビデはすべてのことに自分のよいと思うようにではなく、ただ神が望んでおられる善を追って行うので、神が「わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。」と言われるほど、とても喜ばれました。



1. 神のお心にかなったダビデ

ダビデはイスラエル初代王だったサウルの後を継いで、神に選ばれた人です。イスラエルの最後のさばきつかさだったサムエルが、王を立ててくださいという民の要求によって王に立てた人がまさにサウルでした。
彼は初めはへりくだっているようでしたが、王になってからだんだん高ぶるようになって、神のことばに聞き従わなくなってしまいました。神は預言者サムエルを通して数回警告してくださいましたが、サウルはこれを無視して不従順を繰り返しました。
すると神は結局彼を退けることになさり、代わりに神のお心にかなったダビデを王に立てられました。ダビデはエッサイの八人息子の末っ子で、野原で羊を飼う羊飼いでした。第一サムエル16章で、神に命じられたサムエルがエッサイの家を訪ねて来ます。預言者サムエルは初めダビデの長兄であるエリアブの容姿がすぐれていたので、王だと思いました。
神はサムエルに「人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」と、ダビデを王として立てなさいと命じられます(第一サムエル16:7)。一介の羊飼いにすぎなかったダビデがこのように神の愛をいただけた理由は何でしょうか? それはダビデの心が神がご覧になってまことに良かったからです。



2. 神に愛されて祝福されたダビデの善

1)ダビデは神を完全に信じて頼りました
第一サムエル17章に、少年ダビデとゴリヤテが対決する場面が記されています。イスラエル軍はペリシテ人と互いに対峙して、エラの谷に陣を敷いていました。この時、イスラエル軍はペリシテの代表戦士ゴリヤテのために戦意を失っていたところでした。ゴリヤテは背が三メートルに近い巨人で、青銅のかぶととよろいと青銅の投げ槍で武装していました。こんな戦士が四十日間、朝早くと夕暮れにイスラエルの陣をなぶって大声を上げているのに、王とイスラエルの軍は震えているばかりでした。
この時、戦場に来るようになった少年ダビデは、ゴリヤテが神の御名をなぶるのを聞いて憤慨し、武装もしないまま石投げと五つの石を手にしてペリシテ人に近づきました。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の【主】の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」と大胆に進みました。
このようにダビデは心から神を信じて頼ったので、すべての民も勇士も恐ろしくて震えているゴリヤテの前でも大胆でいられたのです。ダビデが投げた石はゴリヤテの額に命中して、ゴリヤテは剣を一度も振り回せないで倒れました。ダビデは少年でしたが、神を信じたので、驚くべき勝利を得ることができたのです。神がこのようなダビデをご覧になるとき、どれほど喜んでいとおしかったでしょうか。
[ヘブル11:6]に「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」とあるように、神を信じて頼る者に必ず祝福として報いてくださいます。

2)ダビデはどんな状況でも自分が守るべき道理にそむかないで、ただ善をもって悪に打ち勝ちました
サウル王は危機から国を救ったダビデを初めはとても喜んで、戦士たちの長としました。ところが、ある日ダビデとサウル王が戦争に勝って戻ったとき、迎えに来た女たちが「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」とダビデのほうに功を帰すと、その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになりました。
このようなサウル王のねたみは日増しに大きくなって、とうとう自分のために琴を手にしてひいているダビデに槍を投げつけて殺そうとしました。また、ダビデに自分の娘を与えるから、花嫁料としてペリシテ人の陽の皮百を持ってくるようにして、ペリシテ人の手でダビデを倒そうと考えました。それだけでなく、使者たちをダビデの家に遣わして殺そうとしたかと思えば、ラマに逃げたダビデを殺すために自分自身も行きました。
ところで、ダビデにサウル王を亡き者にする絶好の機会がやって来ました。ある日、サウル王が兵士たちと離れて、ダビデが隠れているほら穴に入って来ます。この時、心さえ決めれば、サウル王を殺すのはとても簡単なことだったし、仮に殺すとしても、ダビデを非難する人は誰もいませんでした。
この時、ダビデの部下は「今こそ、【主】があなたに、『見よ。わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたのよいと思うようにせよ』と言われた、その時です。」(第一サムエル24:4)と言います。つまり、神がサウル王をここまで導いてくださったのは、ダビデに敵を殺せる機会を与えようとされたのだから、サウル王を殺すことが良いことだということです。
しかし、ダビデの心は彼らと全く違いました。サウル王が神に退けられようが、悪い王であろうが、神が油そそいで立てられた王なので、殺そうと思いませんでした。ダビデはこっそりサウルの上着のすそを切り取りましたが、これにも心を痛めて、部下にサウル王に襲いかからないようにと言います。サウル王は神に油そそがれた方であり、ダビデ自分が王として仕えた人だったので、道理に外れた行動ができなかったのです。
このように、ダビデは不当に苦しみと迫害を受けても、自分の感情に流されて悪を行いませんでした。神の御前にどんなことが正しいことかをわきまえて行い、ただ神により頼んで、決して人間的な方法を働かせませんでした。このようなすべてがまさにダビデの善であり、神に喜ばれることでした。
さらにダビデはサウルの心を何としてでも安らかにしようと努めた姿が見られます。サウルがほら穴から出て行くとき、ダビデが遠くからサウルを呼びかけて、地にひれ伏して礼をして、「わが父よ。どうか、私の手にあるあなたの上着のすそをよくご覧ください。私はあなたの上着のすそを切り取りましたが、あなたを殺しはしませんでした。それによって私に悪いこともそむきの罪もないことを、確かに認めてください。」(第一サムエル24:11)と言ったのです。ダビデはサウル王に罪もなく追い回されながらも、父と思って最後まで自分の潔白な心を伝えようとしました。
それでは、ダビデと対照的だったサウル王はどうでしょうか? [第一サムエル24:16以下]で、サウル王はダビデが自分を殺せるところでも、もう一度助けてくれたということを知って、感動して声を上げて泣きながら過ちを悔います。しかし、その感動もほんのつかの間のことで、再びダビデを殺すために追い回します。このように一時的に自分の過ちを悔いるようでも、心の悪を完全に捨てられなければ、いつかサタンが働けば、再び悪が動き出すことがあります。
神は心の中の悪を完全に捨てた良い心を望んでおられます。ひょっとして皆さんの中にもサウルのような心はないのか、チェックしてみますように。自分の利益に合う時は何でも相手に与えたいと思っても、自分の利益に合わなければすぐ敵となったり背を向けたりするなら、サウル王のような心があるのです。
ダビデは善をもって悪に打ち勝ち、下着を取ろうとする人に上着までやれる心になったので、繰り返し自分を殺そうとしたサウル王を赦してはまた赦せたのです。ですから、サウル王がペリシテとの戦いで敗れて自殺したと聞いて、悲しんで泣いて断食したのです。それだけでなく、その死体を葬ってくれたギルアデの人々に感謝の心を表すことまでしました。ダビデがこのような良い心を持っていたので、神はイスラエル王として立てて「わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。」と言われたのです(使徒13:22)。
皆さんも自分がよいと思うように行うのではなく、ダビデのようにすべてのことに神が喜ばれる善を追って行い、すべての祝福と答えをいただきますように。



* まとめと適用

1. 神様が「わたしの心にかなった者」だと言われたイスラエル王は誰でしょうか?
①ダビデ ②サウル ③ソロモン ④レハブアム

2. 預言者サムエルがうわべのすぐれていたダビデの長兄エリアブを王だと思ったとき、神が何と言われたでしょうか?

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3. ダビデが石で一気に倒したペリシテの代表戦士は誰でしょうか?
①ヨアブ ②アブネル ③ゴリヤテ ④アビシャイ

4. ダビデが何の武装もしないまま、石投げと五つの石だけを持ってゴリヤテの前に大胆に近づくことができた力は何だったでしょうか?

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* 今週の課題

神様に喜ばれる良いわざと施しとは何で、どんな祝福をいただけるでしょうか? 使徒の働き9章36節以下を読んで考えてきましょう。



* 知って力にしましょう!

「すべてのことに神のみこころのとおりに行ったダビデ」
第一サムエル23章で、サウル王に追跡されているダビデに、誰かが同族であるケイラがペリシテ人から攻められて、打ち場を略奪されたと伝えてくれる。ダビデはこの時、まず神に「ペリシテ人を打つべきでしょうか。」とお尋ねする。神がこれを許されると、ペリシテを打ってケイラを救ってあげる。ところが、ケイラの民がその恵みにそむいてサウル王にダビデを引き渡そうとする。この時もダビデは神に「ケイラの者たちは、私と私の部下をサウルの手に引き渡すでしょうか。」とお尋ねする。このようにダビデはすべてのことに神にお伺いを立てて、そのみこころに聞き従った。

 
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