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聖書の学び
Title
第9課「一千頭の全焼のいけにえのまこと」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2014-07-11
読むみことば: 第一列王3:4-12
覚えるみことば: 第二コリント9:7
参考にするみことば:マラキ1:6-9
教育目標:ソロモン王のように神にこの上ないまことを見せて、心の願いに答えられ、祝福があふれる聖徒になるようにする。
至誠天に通じる」という言葉があります。まことを尽くせば天も感動するという意味で、何でもまことを尽くせば、志を遂げるようになることを表しています。イスラエルのソロモン王は神の御前に一千頭の全焼のいけにえをささげて、先にも後にもなかった知恵はもちろん、富と誉れまでいただきました。
それでは、ソロモンがどんなまことをもって神にいけにえをささげて、このような祝福をいただいたのか調べてみましょう。
1.一千頭の全焼のいけにえをこの上ないまことを尽くしてささげたソロモン
ソロモンは四十年間イスラエルを治めた王です。父のダビデ王が政治、経済、軍事など、全般的に基盤を固めておいたので、安定して国を治めることができました。また、ソロモンは預言者ナタンの信仰教育を受けて成長したので、神を愛して父ダビデのおきてに歩むのに力を尽くしました。
ダビデの後を継いで王位に上ったソロモンは、何よりもまずこの上ないまことを尽くして、神の御前に一千頭の全焼のいけにえをささげました。全焼のいけにえは供え物として持ってきた家畜を一つ一つ部分に切り分けて焼いて、そのかおりをささげる祭事法であり、多くの労苦とまことが必要なのです。これは最も普遍的な祭事法であって、いのちをささげて神が命じられたすべての命令を守るということを意味します。ソロモンはこのように神の御前に完全な犠牲と献身、自発的な奉仕を象徴する全焼のいけにえを一千回もささげました。
私たちも礼拝をささげるとき、ソロモン王のように心と思いとまことを尽くして、神に喜ばれる聖い生きた供え物としてささげるのが当然のことです。ひょっとして喜びがなく、疲れて居眠りしながら、雑念にふけってささげることがあってはなりません。聖霊に満たされて霊とまことによってささげてこそ、神が喜んでお受けになります。
ささげ物をささげる時も、どれほど心を込めて、信仰によって、愛をもってささげるかが大切です。神は「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」(第二コリント9:7)と言われました。
イエス様は貧しいやもめがレプタ銅貨を二つを献金箱へ投げ入れるのを見て、ほめられました(マルコ12章)。レプタ銅貨はイスラエルの一番小さい貨幣単位であって、二つに過ぎませんでした。しかし、彼女にはそれが生活費の全部でした。イエス様はこの女の心をご覧になって、ほめられたのです。
このように、神はまことを込めて喜んでささげるとき、喜ばれて祝福されます。ソロモンのまことを尽くした一千頭の全焼のいけにえをお受けになった神は、夢に現れて「あなたに何を与えようか。願え。」と言われます。彼は、王として民をさばく時に善悪を判断して聞き分ける知恵の心を求めました。神はソロモンが自分のために名誉や富を求めないことを喜ばれて、ソロモンが求めた知恵の心と判断する心はもちろん、求めなかった富と誉れまでも加えて与えられました(第一列王3:13)。
2.まことを尽くして行ったとき臨む祝福
神は私たちのまことを尽くした心の香をかがれます。いくらうわべでは完璧でも、心が込められていなければお受けになりません。たとえば、神が立てられた主のしもべや、親、兄弟、隣人、同僚など、どこの誰に仕える時も、心を尽くしてすることが大切です。神は人の心を探られるので、まことを尽くしてしたのか全部ご存じなのです。
ソロモンは神を恐れて仕える心をもって、自分の地位で最善を尽くして一千頭の全焼のいけにえをささげました。神はそのようなソロモンの心と心遣いをご存じだったので、聖殿を建築するようにされました。ソロモンがどんなまことをもって聖殿を建築したのか、その過程を調べてみましょう。
王に即位して四年目に始まった聖殿建築は、完工するまでに七年かかりました。ソロモンは聖殿を美しく精巧に建築しました。石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、槌や、斧、鉄の道具の音は、いっさい神殿の中では聞かれないようにしました。神殿内部は、壁を杉の板で張って純金を着せて石は見えないようにし、神殿の周囲の壁にはケルビムの彫刻、なつめやしの木と花模様の彫り物を精巧に彫りました。聖殿の前には二本の柱を壮麗に作り、格子網で柱頭をおおって、青銅のざくろ一百個を並べました。また、聖殿の用具、すなわち、ともしび皿、心切りばさみ、純金の皿と、心取りばさみ、鉢、平皿、火皿のようなものを純金で作りました。ソロモンのこの上ないまことによって、聖殿は美しく精巧で勇壮に建築されました。
私たちが礼拝をささげ、祈りやささげ物をささげるなど、何をするにもまことを尽くして神に喜ばれれば、神が大きい祝福をもって報いてくださいます。
それでは、私たちに祝福を与えようとなさる神にどんな心で求めてこそ、神が喜ばれるでしょうか? それは、ソロモンが自分の富と誉れや長寿を求めないで、民を治めるために知恵を求めたように求めればよいのです。つまり、自分の利益でなく相手の利益のために、使命を果たすために、魂のために求めれば、神は喜ばれて求めなかったものまでも豊かに満たしてくださるのです。
シュネムの裕福な女は神の人エリシャがその地方を通りかかるたびごとに食事をもてなして、休める部屋を準備しました。女の仕えに感動したエリシャが何をしたらよいかと聞きましたが、何も求めませんでした。何かの報いを期待してしたことではなかったからです。エリシャは女に子どもがないことを知って、来年の今ごろ男の子を抱くようになると言います。まことを尽くして神の人に仕えると、求めなかった祝福まで受けたのです。ソロモンが自分より民の利益を先に考えたように、誰でも自分の利益を求めないで、真理、すなわち、善を行うとき、神が喜ばれます。
3.神の御前に感動的なまことを見せた人々
聖書を見れば、ナアマン将軍がツァラアトをいやされるためにエリシャのところに行くとき、多くの金銀と大事な晴れ着をまことを尽くして備えて行きました。エリシャはそれを受け取りませんでしたが、ナアマンはそれほどのまことがあったので、いやされることができました。
アブラハムは通り過ぎる旅人もおそろかにしないで、まるで主に仕えるようにもてなしました。そうするうち、知らぬ間に御使いをもてなして、待ち焦がれていた息子を生むという祝福の預言を再び聞きます。
ヤコブは自分を憎んでいる兄エサウの心を動かすために、最善を尽くしてささげ物を準備しました。そうして兄の感情のもつれをほぐそうとしたのです。神がエサウの心を働かして和解できましたが、ヤコブのまことも兄の心を動すことができるほど感動的でした。
イスラエル人が荒野で幕屋を造った時も同じです。民が心から進んで、われもわれもと喜んで奉納物をささげましたが、どれほどたくさんささげたのか、持って来ないように命じるほどでした。神への民のまことがそれほど厚かったのです。
ザアカイのまことと慕う心はどうでしょうか? 背が低いザアカイはイエス様を見ようと、自分の体面や地位などは考えないで、桑の木の上に登ったのです(ルカ19章)。彼の慕う心をご存じだったイエス様は「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と言われます。ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエス様を迎えます。感激したザアカイはイエス様に「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」と言います。イエス様は「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。」言われ、救いの祝福を下さいました。
このように、神は心を探られて、この上ないまことと慕う心をご覧になって、行ったとおり報いてくださる方です。
新約時代の預言者アンナは宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていると、幼子のイエス様がわかりました。預言者サムエルの母ハンナは長い間子どもをみごもれなかったとき、涙で祈ってサムエルを得ました。また、彼を神にささげるという誓願を守って、さらに多くの子どもを得ました。エリシャは最後まで師のエリヤに尊敬してつき従うまことを見せて、師の霊の二つの分け前を受けたのです。
[ガラテヤ6:7]に「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」とあるので、神の御前に感動的なまことと献身を見せて、求めるものは何でも答えられて栄光を帰しますように。
* まとめと適用
1.ソロモン王が一千頭の全焼のいけにえをまことを尽くしてささげると、神が夢に現れて「あなたに何を与えようか。願え。」と言われました。この時、ソロモンは何を求めたでしょうか?
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2.神はソロモンが求めたものの他にも、何を下さったでしょうか?
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3.ナアマン将軍はいやされるためにどんなまことを見せたでしょうか?
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4.ザアカイはイエス様を見るためにどんな行いを見せたでしょうか?
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* 今週の課題
聖書の人物で、自尊心を捨てて祝福された例と自尊心を捨てなかったので滅びた例をそれぞれ探してきましょう。
* 「用語」を知って力にしましょう!
「全焼のいけにえ」とは?
供え物として持ってきた動物を部分に切り分けて焼いて、そのかおりで神に喜ばれる祭事法である。これは旧約時代の最も普遍的な祭事法であって、動物をほふって全焼のいけにえとしてささげることは、私たちのいのちそのものを神にささげるという意味であり、結局、人生全体を神の御前に生きた供え物としてささげるという意味を持つ。今日で言えば、イ―スタ―、初穂の刈り入れ感謝祭、収穫感謝祭などの例祭礼拝を含め、私たちがささげるすべての主日礼拝がこれに該当する。
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