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メッセージ >
聖書の学び
Title
第8課「律法を行う者」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2014-06-27
読むみことば: ローマ2:13
覚えるみことば: ヤコブ2:22
参考にするみことば:第一ヨハネ1:5_7、マタイ7:21
教育目標:神のことばをいつも心の板に刻んで守り行い、まことの義人になって神に愛されて祝福されるようにする。
私たちがみことばを聞き流してしまうなら、何の役にも立ちません。知識的に積んでばかりいるのも同じです。自分が知っているということで、まるで行っているかのように欺かれてしまい、みことばどおり行わない人を見れば、さばいて罪に定めることがありうるので、いつも注意しなければなりません。したがって、神に喜ばれる義人になるには、必ずみことばを聞いて守り行う人にならなければなりません。
1.人によって違う心の芯
子どもを生んで育ててみれば、親に似ていることを発見するようになります。顔かたちだけでなく、性格、歩き方、習慣まで似ている場合もあります。親が性格がせっかちで、乱暴で、ねたみ、そねみが強ければ、子どもにもそのような性向が現れるのが見られます。このように、生まれつきの性格は人によって違い、直しにくいです。根本的に変えられようとするなら、親から受け継いだ気質と罪の属性を完全に捨てなければなりません。
朝鮮時代の暴君、燕山君(ヨンサングン)の母親はひどく嫉妬心の強い人でした。その影響を受けて、燕山君もそねみが多くて乱暴なだけでなく、酒や女に溺れて放蕩生活をしながら、あらゆる悪行にふけりました。王族として生まれて、立派な師から教育を受けましたが、親から受け継いだ罪の性質に悪を積んでいくと、心が悪くなっていったのです。
人の心は親から受け継いだ罪の性質と、自分が成長しながら見て聞いて感じたことによって形成されます。このような心が固まったものが「芯」です。人は心の芯によって善を追い求める程度が違ってきます。
たとえ生まれた時に良くない気質を受け継いでも、変えられようと努力すれば、神が助けてくださいます。完全にさせられる主に出会って、聖められるために信仰によって祈って断食しながらみことばどおり行えば、結局は良い心の芯が作られるようになるのです。
ダニエルの三人の友だちは良い心の芯を持っていたので、異国バビロンの捕虜で捕えられて行っても、神を第一に愛して仕えました。神が律法で禁じられた忌みきらうべき物は食べなかったし、死の脅威の前でも決して偶像を拝まない、正しい信仰を持っていました。ただみことばのとおり守り行うと、異国でも重責を担って、神に栄光を帰しました。
2.訓練を通して全き義人になったヨブ
ある人は「罪を捨てるのがつらい」と言います。しかし、神は罪を捨てて義人にならなければならないと数えきれないほど言われています。[ヘブル12:4]では、罪と戦って血を流すまで抵抗しなければならないと教えてくださいました。罪を全部捨てて、心の芯を完全に真理で耕してこそ、まことの義人になれるからです。
神は時には訓練という道具を通して、私たちを完全にされます。このような訓練を通り抜けてこそ、尊い実として結ばれ、祝福されることができます。
エジプトから出た時の指導者モーセは本来自分の義が非常に強い人でした。自分の民族ヘブル人をエジプト人が打っているのを見て、ほかにだれもいないのを見届けると、エジプトの人を打ち殺し、砂の中に隠したのです。その後、四十年の訓練を通して徹底的に自分の義が打ち砕かれて、神が用いられる器に変えられました。
[民数記12:3]に「さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。」とあります。悪い民の代わりに書物から自分の名が消し去られてもいいから、彼らの罪を赦してくださいと求めるほど、謙遜で愛があふれる人に変えられたのです(出エジプト32:32)。
このように、まことの義人は、単にみことばを聞くからといってなるのではありません。みことばを通して自分を発見し、心にある悪を取り出して、心が正しくされなければなりません。つまり、律法を聞いて知っていることで終るのではなく、信仰によって行う者になってこそ、まことの義人になれるのです。
私たちが律法を行う者になるには、次の二段階を経なければなりません。第一は、真理のみことばを知って聞き従う段階です。つまり、「祈りなさい」とあるので祈り、「安息日を聖なる日とせよ」とあるので安息日を聖なる日として守るのです。第二は、真理のみことばを心に完全に耕して行う段階です。すなわち、完全な行いの段階です。義務的にするのではなく、神を愛して喜んでするとき、完全な行いと言えるのです。
3.完全な行いに伴う祝福
私たちが完全な行いの段階に入ろうとするなら、まずはみことばに「してはならない」とあることはしないで、「避けなさい」とあることは避けなければなりません。つまり、「憎んではならない、そねんではならない、盗んではならない、姦淫してはならない、罪はどんな悪でも避けなさい」というみことばどおりしないで避ければ、良い地のような心になります。
これとともに神のことばを蒔かなければなりません。つまり、「しなさい、守りなさい」というみことばどおり熱心に行えば、信仰が成長して豊かな実を刈り取ることができるのです。「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべての事について感謝しなさい、敵も愛しなさい、安息日を守りなさい、命令を守りなさい」というみことばに聞き従うほど、神の愛と祝福が臨みます。
私たちが交通法規をよく守れば、法の制裁を受けないだけでなく、保護されることができます。このように神のことばのとおり行えば、敵である悪魔・サタンが訴えることができないので、試練や患難や病気が離れ、神が炎のような御目と天の軍勢、御使いで守ってくださるので、困難にあいません。
ひょっとして初めは義務感で律法を守ったとしても、心の悪が捨てられるほど、徐々に喜んで聞き従うようになります。これがまさにたましいに幸いを得て、主の心に似せられることであり、失った神のかたちを取り戻すことなのです。
[第一ヨハネ3:21_22]に「愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行っているからです。」とあります。みことばのとおり完全に行えば、自分で自分を責めることがないので、大胆に神の御前に出ることができ、求めるものは何でも答えられるのです。病気や家庭の平和、家庭の福音化をはじめ、どんな問題でも答えられることができます。
4.行いによって全うされる信仰
[ヤコブ2:22]に「あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、」とあります。まことに信じるなら、行いが伴い、信仰は行いによって全うされ、何でも答えられることができます。
それでは、みことばを同じように聞いているのに、人によって信仰が違う理由は何でしょうか? それぞれの心の芯によって、みことばを聞いてどれほど行うか行わないかの違いなのです。
律法を行う者は心に信じられる信仰を持って、神のみわざを体験できます。もし私たちが「神様を信じます」と言いながらみことばどおり行わないなら、嘘をついているようなものです。神が光の中におられるので、私たちも光の中で行ってこそ神を信じると言えて、神を父と呼べるのです。
ある人々は教会にだけ通えば救われると考えていますが、そうではありません。みことばを聞く人が正しいのではなく、みことばを行う人が正しいと認められるからです(ローマ2:13)。
聖書には「『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる』のです。」(ローマ10:13)とあるかと思えば、「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」(マタイ7:21)とあります。
このような神のことばが連れ合いとなってこそ、救いについての神の完全なみこころを悟ることができます。つまり、神のことばのとおり生きてこそ、救われることができるということです。
[ローマ10:10]に「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」とあります。心に信じる人は当然行いが伴うので、心に信じて行いながら、口で告白するのです。これがまことの信仰であり、救われる信仰です。ですから、律法を完全に行う者になって救われることはもちろん、世の光と塩になって神に喜ばれるまことの義人になりますように。
* まとめと適用
1.( )の中にふさわしい単語を入れてください。
まことの義人は、単に( )を聞くからといってなるのではありません。みことばを通して自分を発見し、心にある( )を取り出して、心が( )されなければなりません。つまり、( )を聞いて知っていることで終るのではなく、信仰によって行う者になってこそ、まことの( )になれるのです。
2.私たちがみことばを同じように聞いていても、人によって信仰が違う理由は何でしょうか?
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3.[ローマ2:13]のみことばをみんなで覚えてみましょう。
* 今週の課題
求めるものを神様からいただくためには何が必要でしょうか? ソロモン王、ナアマン将軍、ザアカイ、エリシャなどの行いを思い出して、次回までに考えてきましょう。
* 「用語」を知って力にしましょう!
「四つの心の地」(マタイの福音書13章)
1.「道端の地」-硬く締まった地で、みことばを聞いても悟れなくて、全く信仰を持てない人の心の地のこと。
2.「岩地」-石があって、芽が出てもよく育てない地で、みことばを聞いて知識的には知っていても、行いが伴わない人の心の地のこと。信仰の確信がなく、試練や患難がやって来ればつまずいてしまう人の心の地のことである。
3.「いばらの地」-いばらによって芽がよく育たない地である。みことばを信じて行うといっても、欲と富の惑わし、世の心づかいのため、実を結べない人の心の地のことを言う。
4.「良い地」-種を蒔けば、三十倍、六十倍、百倍に刈り取る地である。みことばを完全に信じるので、自分の思いを働かせないで、どんなことにも聞き従う人の心の地のことを言う。
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