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聖書の学び
Title
信仰の量り(13)「信仰の四段階(3)」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2013-06-13
読むみことば: ヨハネ4:24
覚えるみことば: ヨハネ4:24
参考にするみことば: 第一テサロニケ5:23
教育目標: 信仰の四段階から五段階に至るまでの過程を大きく四つに分けて、信仰の成長過程を具体的に調べてみる。
信仰の四段階の人は神をこの上なく愛して、悪はどんな悪でも避けたので、御霊の人だと神が認めてくださいます。このような信仰の四段階から信仰の五段階に至るまでの過程を100とするとき、1-10%未満までは入り口と言い、10-20%未満は停滞期、20-50%未満は中期、50%以上は終期と言えます。
1.信仰の四段階の入り口(1-10%未満)
ここに当たる人々は自分が信仰の三段階の終わりなのか、でなければ信仰の四段階に入ったのか、正確に見分けられないこともあります。自分が見るには悪は全部捨てたようですが、「私は御霊の歩みに入りました」と自信を持って言うには、何かちょっと恥ずかしくて申し訳ないものがあるからです。周りから見ても悪い姿は見えませんが、「あの人は確かに御霊の人だ」と認めるにはためらいもあるのです。このような信仰の四段階の入り口の特徴は何でしょうか?
第一に、実が完全ではありません。
信仰の四段階入り口では、聞き従おうとしない心がなく、いつも聞き従う姿勢です。みことばを聞いて悟れば、心に留めてそのまま行おうとします。それでも実が完全でないのは、心に結ばれた御霊の実が完全なものではないからです。
例を挙げると、柔和ではあるが自制の実が欠けていたり、忠実ではあるが平安の実が完全でないこともあります。肉の愛ではないけれど、まだ霊の愛が完全に結ばれたのではありません。
このようにまだ御霊の実が完全に結ばれていないので、実際目に見える実もやはり、完全でないのです。ですから、リバイバルの実を見せられなかったり、事も完璧に処理できないのです。また、もっと大きい実を見せられるのに、ある線で止まってしまいます。四段階に深く入るほど、すべての御霊の実が完全になりながら、目に見える実も完全になるのです。
第二、全き善とは言えません。
信仰の四段階の入り口の人は悪がないので、悪い意図ではないにしても、結果的に周りの人たちをつらくさせることもあります。悪を行うのではないけれど、神がご覧になって善でない場合があるからです。
例を挙げると、相手に完全に配慮できなかったり、相手の心を完全に理解してあげられません。自分では善のつもりですが、全き善でなく、相手に完全に配慮できなくて、相手の心を完全に理解してあげないのです。または、自分がすべきことに積極的に前に出ないので、結果的に事が遅くなったりもします。それが他の人には卑怯とか優柔不断など、肉の人のように見えたりもします。
信仰の四段階の入り口の人は、悪はどんな悪でも避けましたが、まだ心に真理が完全に満たされていません。ですから、悪ではないけれど「神がご覧になっての善」とはまだ完全に一致しないこともあり、全き善でない姿が現れたりもします。
第三、肉の欠如がわずかに残っています。
信仰の三段階80%から99%にある人々の中にも、肉の欠如のために成長が遅くなる場合があります。しかし、御霊の歩みに入った人の肉の欠如は、三段階の終わりの欠如とは違います。悪はすべて捨てましたが、さらに完全な実を見せるにはまだ欠けていることを言っているのです。
例を挙げれば、性格的な欠如によって、前に出るべき時もじっとしている場合、成長過程で生じた欠如によって人の心を推し量ったり、共感する力が足りない場合、相手のために心が穏やかでなくなったり、気に障ったりはしないけれど、積極的に前に出て、まず手を差し伸べてあげない場合があります。したがって、本人が見るときや周りから見るとき、まだ「完全だ」と思えないこともあるのです。
2.信仰の四段階の停滞期(10-20%未満)
信仰の三段階で火のような祈りと訓練の過程を経たなら、信仰の四段階に入って、停滞期なしにさらに深い段階に入れます。ところが、信仰の四段階10-20%未満にとどまり、それ以上成長しない場合があります。これを「霊の停滞期」と言います。
また、さらに深い霊の次元を慕う心が欠けていて、停滞したりもします。いくら霊の入り口には入ったとしても、そこからそれ以上慕う心を持てないまま、霊の世界に突き抜けて入らなければ、結局、霊の停滞期にとどまるようになります。
さらに深い霊の段階に入るためには、火のような祈りで「自分」というものが完全に打ち砕かれて、なくならなければなりません。ここで「自分」とは、御霊の歩みに入るために打ち砕かなければならない「肉に属する自分」とは違います。御霊の歩みに入っても、神のみこころと一つになっていくために打ち砕くべき「もう一つの自分」のことを言っています。
また、御霊の歩みに入れば、どんな状況でも悪が出てくることはありませんが、全き善の心、完全な御霊の実を結ぶためには、まだ満たすべきものがあります。ところで、この時、火のように祈らなければ、自分を発見することも、霊的な成長を遂げることもできません。ですから、火のような祈りがそれほど重要なのです。
3.信仰の四段階中期(20-50%未満)
この段階にだけ入っても、聖徒に認められて、牧者と一緒に多くのことをやり遂げていけますが、具体的にどんな特徴があるでしょうか?
第一に、肉の痕跡による肉の欠如が少し残っていることがあります。
この時に現れる欠如は、何かの悪から始まったものではありません。すでに気の中にある悪まですべて捨てたからです。この時、少し残っている欠如とは、肉の痕跡によるものです。ほとんどが生まれつきの気の中で形成された、各人の「性情」に関する分野です。
性情とは、簡単に言って、持って生まれた本性です。ある人は消極的で、ある人は積極的であり、ある人は鈍くて、ある人は鋭敏です。このように、持って生まれた性情の違いによって、性格や行動など表に見える姿も違ってきます。
信仰の四段階50%未満までは、このように性情によって現れる欠如を整える過程です。神はこのような性情による欠如をどのように満たしていかれるでしょうか? たとえば、性格が消極的な人はその人の消極的な面を細やかさに昇華させられます。性格がせっかちな人ならば、熱情的で積極的な姿に昇華させてくださいます。また、賢くて敏捷な人はその長所を生かし、ちょっと鈍くてじれったい人もその長所を生かしてくださいます。それで、四段階50%を超えれば、このような欠けた姿も全部なくなるのです。
第二、キリストの香りがします。
この時からは、話をすること、食べること、箸の上げ下ろし、靴を履くこと、出入りなど、すべてのことが変わるようになります。それで、多くの人がその人の姿を見て「私たちの主はあんなふうにされたんだろうな」と恵みを受けます。この次元に入れば、あらゆる分野で御霊の実が熟していくので、いつどこででも、誰に会おうがキリストの香りを放って、クリスチャンからもノンクリスチャンからもほめられます。
第三、愛の心が感じられます。
信仰の四段階20%を超えれば、霊の愛がますます完全になります。これに徳まで兼ね備えながら、多くの人をいだけるようになります。いくら悪い人でも愛の目で見て、愛の心でいだいてあげると、多くの人が霊の愛を感じます。この霊の愛が結局人を変えさせて、多くの魂を天国に導く力になるのです。それで、信仰の四段階20-50%未満にだけ入っても、豊かな実が熟し始めます。
4.信仰の四段階終期(50%以上)
信仰の四段階50%以上になれば、欠如した分野が全くなく、「自分」というものも全くないし、ただキリストだけが心のうちにおられます。それで、自分がいくらでも楽しめて、できることさえも、神の国と栄光のために喜んであきらめます。主のためにいのちまでささげられることはもちろん、神との100%の信頼関係を作り上げて、信頼という言葉も必要ありません。
もちろん、すべての面が完全になるには、当然全く聖なるもの次元(四段階80%以上)に入らなければなりませんが、信仰の四段階の50%だけ超えても、それだけ完全な姿に近いということです。したがって、皆さんもすみやかに悪はどんな悪でも避けて聖められ、御霊の人になりますように。そして、信仰の四段階100%になって、信仰の五段階に攻めて入るようお願いします。
* まとめと適用
1. 信仰の四段階の入り口の特徴を書いてください。
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2. 信仰の四段階で停滞現象が現れる原因は何でしょうか?
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3.信仰の四段階中期の特徴は何でしょうか?
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* 今週の課題
信仰の昔の人々も性情はいろいろです。たとえばモーセとエリヤはどう違うでしょうか? 次回までに考えてきましょう。
* 「用語」を知って力にしましょう!
「肉の痕跡」とは?
御霊の人に変えられる前に持っていた性分や気質、知識などが痕跡のように残っていて、影響を及ぼすことを言う。たとえば、服を洗っても、古くなって垢じみている時は、よく消えないで跡が残る。肉の痕跡がまさにこの跡のようなものである。
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