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Title
   2014年新年祈祷課題 (1) - わたしはそれをしましょう  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   ヨハネ14:13-14
Date
   2013-12-29


[本文]

[ヨハネ14:13-14]
「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」


[序論]


愛する聖徒の皆さん、
[申命記8:14後半節~16前半節]に「主は、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出し、燃える蛇やさそりのいるあの大きな恐ろしい荒野、水のない、かわききった地を通らせ、堅い岩から、あなたのために水を流れ出させ、あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。」とあります。
これはまさに私たちにくださった恵みです。一年を振り返ってみてください。肉の環境だけ見ると、国でも企業でも家庭でも、世は荒野のように殺伐としていました。あるおもな日刊紙(朝鮮日報)は、今年の経済について次のような記事を載せました。「私たちの周りに暮らし向きがよくなったということばは聞かれない。かえって『うまくいったこともないし、いきそうなこともない』という話が広まっている。」
このような世の中で、父なる神様は私たちを、今年一年間食べさせて、着せ、守ってくださいました。また、霊の流れによく乗ってきた方は、さらに「できないこともできて、できることはもっとできる」体験をされたでしょう。
もちろん、私たちの倉に満たしてくださったのは、肉の糧だけではありません。私たちのたましいが肥えるように霊的なマナ、すなわち、神のことばもあふれるばかりに与えてくださいました。真理が見つけられにくい暗い世の中で、聖徒の皆さんは義に飢え渇いていたので、むしろ満ち足りることができました。涙もずいぶん流しましたが、多くの方が霊的に成長したのです。それなら2014年はどんな年になるでしょうか? 本当に楽しみです。
きょうは父なる神様がマンミンに下さった一番目の新年祈祷課題についてお伝えします。タイトルは「わたしはそれをしましょう」です。このメッセージを聞いて、2014年にマンミンに下さる霊的な流れを把握して、それを祈祷課題にすればよいでしょう。答えられるほどのかぐわしい祈りをささげて、2014年の祝福の主人公に必ずなりますように、主の御名によって祈ります。


[本論]

愛する聖徒の皆さん、視聴者の皆さん、本文[ヨハネ14:13-14]で、イエス様はこう言われました。「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」
これは、イエス様が十字架を負う前に、弟子たちに約束されたおことばです。十字架で死なれて、復活、昇天されれば、この険しい世に弟子たちだけが残されます。これを前もって知っておられたイエス様は、弟子たちに白地小切手のようにものすごい効力を発する約束を下さったのです。
この約束どおりに、弟子たちがイエス・キリスト、主の御名によって求めるとき、驚くべきことが起きました。[使徒2:38]で、ペテロが「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」と言うと、一度で数千人が悔い改めて、主の弟子になりました。
また、[使徒3:6]を読むと、ペテロが生まれつきの歩けない人に「ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言うと、立ち上がって歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しました。また、[使徒16:18]で、パウロが悪霊に「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け」と言うと、即座に、霊は出て行きました。その後にも、主の御名によって驚くべきことが多く現れました。今もひとりひとりが主の御名によって救いに至り、答えられています。
聖徒の皆さん、「わたしはそれをしましょう」と言われた主の約束は、助け主聖霊が臨んで、成就されはじめました。私たちの教会は開拓以来、いつも聖霊に満たされていたので、聖徒の皆さんはこの約束が成就するみわざをたくさん見守ってきました。また、過ぎし30年間、不可能なことを神様がご自分の力で数えきれないほど現されるのを見て体験したので、堅く信じておられるでしょう。この30年を振り返ってみると、この教会の働きはこのようにイエス・キリスト、主の御名によって求めるとき、主がそれをしてくださって、行われてきました。
特に神様は啓示で多くの約束のおことばを下さって、それは間違いなく成就されました。時々、その過程で訓練を受けることを許された時は「本当に下さったおことばがそうなるのか」と肉の人たちは疑ったでしょうが、結果を見ると必ず成就されました。
1999年には、マスコミの歪曲、偏った報道によって、教会が大変な困難にあいました。その時も、神様はこの試練が驚くべき祝福をもたらすと言ってくださいました。そのような内容が入った啓示のおことばをお読みします。1999年6月26日に下さったおことばです。
「これは何を意味しているのか。あなたがたにこの答えを下さる父のそのみこころが臨んでいるのではないか。わが子よ、これからこのすべてのうっとうしい日は過ぎて、このすべてが輝きへと出てくるだろう。わが子よ、この光が非常に強くなっているのだ。まことに、うっとうしい雨が降ったとき、その闇によって天地が真っ暗になり、雷と稲妻によって恐れおののき、また、それによって人の心が千々に乱れても、しかし、それが全部過ぎ去った後、光を照らした時はどうだったのか。その光によって感謝し、また多くが、あちこちで腐って苦しかったそれらが全部明らかにされて、また、明るく照らされることでうるわしく成し遂げられていくのを見たのでないか。その光によって、どれほど多くの腐った分野がいやされ、その光によって、どれほど多くの分野が現れて、また、どれほど多くの人が心が新しくなり、晴れ晴れとするのを見ているのでないか。この光があなたがたに臨み、この教会に臨んでいるので、わが子よ、思い煩うな、心配してはならない。この光を考えてみなさい。この教会にあふれんばかりに臨んでいるし、答えが臨んでいるのをあなたがたに物語っているのだ。わが子よ、この答えを待っていなさい。」
このおことばがあって約1年後の2000年7月、試みの雨雲がすでに退いて、ウガンダ聖会を始めとして、この約束のおことばは驚くほど成就されました。明るい光が教会の中の闇、すなわち、殻のような偽りの信仰を追い出しただけでなく、全世界へと伸びていき始めました。
ところで実は、この約束の成就はずっと前から予告されていたものでした。神様は私が一般の聖徒として忠実に仕えていたとき、このようなおことばを下さいました。「山を越え、海を渡って巡りながらしるしと不思議を行うだろう」と言われたのです。
このおことばを握って、主の御名によって祈った結果、主は言われたとおりにそれをされました。ただ熱心に信仰生活をしていた平凡な「ミヨンちゃんのお父さん」が主のしもべになったし、小さい開拓教会の伝道師として牧会を始めて、今は1万余りの教会、数百万の聖徒の牧者になったのです。山を越え、海を渡って巡りながら、聖霊の力によってしるしと不思議を行いながら、主の福音を伝えるようになりました。2000年から本格的に、海外の各地で神の力が現れる聖会を開いて、福音を伝えたのです。
もちろん、今もこの奇蹟は続いています。教会と働き人が日増しに成長したので、聖潔の福音と神の力ある祈りはGCNの電波で、またハンカチで、山を越えて海を渡りながら働き続けています。

愛する聖徒の皆さん、この短い時間に、なぜいまさら過去のことについてお話ししているのでしょうか? 父なる神様が2014年に、私たちが主の御名によって求めることを必ずなさることを確証するためです。過ぎし30年余りの間、この教会に下さったすべての約束のおことばどおりにして来られたように、新年にもこの教会に下さった約束を必ず成就されるでしょう。
ところで、2014年が他の年と違う点は何でしょうか? 子どもたちが玉入れをすると仮定してみましょう。審判の先生が「用意、スタート!」と言うと、子どもたちはボールを入れ始めるのです。主がそれをされるという意味が、今まではボールを投げる直前に「用意」の姿勢をとる区間にたとえられます。しかし、来年からは「スタート!」と言った後、本格的に動く区間にたとえられるでしょう。
ところで、これはどんな基準に従って分けられるのでしょうか? それは2010年12月25日から2013年12月25日まで、3年間与えられた聖めの期間によって分けられたのです。今まで父なる神様がどれほど多くの祝福の約束を下さったでしょうか? 毎年、祝福を宣言してはまた宣言されました。ところが、父なる神様は「用意」と叫ぶ区間に、長い間とどまっておられるしかありませんでした。その理由は何でしょうか? ボールを入れるかごが用意されていなかったからです。つまり、祝福の器が備えられていなかったからです。
これは決して初めて伝える内容ではありません。父なる神様はすでにずっと前から「祝福を注いであげるから、きよい器を備えなさい」と言われました。ところが、今になってやっと、本格的に父がされるほどの器の準備ができたのです。皆さんが3年前、私に長文の手紙を送って、悔い改めていた時を振り返ってみてください。皆さんがご存じのとおり、その時は聖殿建築はもちろん、世界教区化やクリスチャン世界を目覚めさせることは不可能な状態でした。
ところが、その3年の時間が経った今はどうでしょうか? 6人の全く聖なるものと、88人の御霊の人が誕生しました。また、481人が信仰の岩の上に立って、御霊の歩みへと走っています。また、多くの聖徒が信仰の岩に立つ直前にいます。どれほど驚くべき変化でしょうか。今になって主は、言われたことが本格的におできになるようになったのです。
もちろん、以前もまめに心に割礼をして器の準備をしてきた方々には祝福が与えられました。このような方々と私には豊かに祝福を下さって、ご自分の摂理を実現できるように道を開いてこられたのです。
今は祝福してくださる次元が違います。父なる神様がこの教会に下さった摂理を成し遂げられるのに必要な祝福を注いでくださるために、手を構えられました。これから私が初めの声を発するとおりに、教会にも個人にも注いでくださるでしょう。私たちの主が直ちにそれをなさるでしょう。このような祝福を下さった父なる神様に、すべての感謝と栄光をお帰しします。

愛する聖徒の皆さん、それなら、私たちは来年一年間、どう祈らなければならないでしょうか? まさに、自分自身が神の国の良い管理者になるために祈らなければなりません。[第一ペテロ4:10]に「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」とあります。
管理者とは、主人の家を任されて管理する人のことです。私たちの主人は主イエス様です。良い管理者になって、自分が属している所で身と心、時間と物質をささげて、奉仕しながら忠実に仕えてみてください。主は皆さんが主の御名によって求めるとおりにしてくださるでしょう。つまり、祈りと求めに答えてくださるのです。
全く聖なるものとされた方々、御霊の歩みに入った方々、また、御霊の歩みへと走っている方々を注意深く見てみてください。ただ受けた恵みに感謝して、自分のすべてを尽くして忠実に仕えていきます。私心、欲を持たずに、ただ神の国の利益を求めます。自分に与えられた賜物、時間、物質など、すべてを尽くして主のからだなる教会に仕えています。
ですから、神様がこの方々に必要なものを与えてくださるしかないのです。それで、物質も下さり、健康にもしてくださいます。また、家庭も福音化させてくださって、心を安らかにしてくださいます。何よりも霊的な力、すなわち、みことばの権威と心を変えさせる力を着せてくださいます。このような良い管理者が教会の中に多くいるとき、父なる神様は聖殿建築と世界教区化、民族福音化が実現できるように、祝福をあふれるばかりに注いでくださるのです。
もちろん、すでに多くの方が良い管理者のように教会に仕えておられますが、それでも聖徒の皆さんのほとんどがこの列に加わってはじめて、祝福を心置きなく注ぐことがおできになるのでないでしょうか。あふれるばかりに注いでくださっても、それが漏れて無駄になってしまうなら、また、管理者がそれをもって自分の腹だけ肥やすなら、与えないより劣るのです。

聖徒の皆さん、「わたしはそれをしましょう」と言われた主の約束は、一次的に誰を通して成就されたでしょうか? 主を自分自身より愛した弟子たちを通して成就されました。ですから、皆さんすべてが、今は何をしても、自分の栄光ではなく、神の栄光を求めますように。
たとえば、皆さんが職場で苦労して得た所得で宣教して、教会の兄弟、姉妹に施しをするなら、職場で熱心に働くことも神の栄光のためのことになります。子どもたちの世話をする時も、子どもたちを主のからだなる教会の良い管理者として育てるなら、これも神の国の利益を求めることです。主のしもべは聖徒たちを心をこめて顧みて、レビ族は誠実に任された役目を果たし、聖徒のかしらの働き人と一般の聖徒はその持ち場で忠実に仕えるなら、教会としてどれほど大きい器が備えられるでしょうか。
「主よ!」と呼ぶだけでも、主は私たちに与えられた摂理のとおり、急いでそれをしてくださるでしょう。これによって、神様がこの教会に約束されたことが一つ二つと成し遂げられていくのを見ると、私たち皆がどれほど喜んで恵みに満たされるでしょうか。初代教会のように天国の望みをもって祈り、賛美しながら、主がまた来られる日を待つようになるでしょう。
序論でも言いましたが、殺伐とした世では、まことの喜びと望みを見つけることができません。「うまくいくことが一つもない」という言葉が聞かれるほど、世の暮らしはだんだん厳しくなるだけです。このようなこの地上での暮らしに自分の尊い健康と物質、才能と時間を無駄遣いしないで、ただ神の国に注がれますように。こうするとき、神様が皆さんの人生に祝福と報いをあふれるほど満たしてくださいます。求めることは、何でもそれをしてくださるのです。


[結論]

愛する聖徒の皆さん、本文を読めば、イエス様が「わたしはそれをしましょう」と、二度言われたことがわかります。なぜ繰り返し言われたのでしょうか? ここには二つの理由があります。その一つは、神様は全知全能であるから、どんなことでもおできになることを強調するためです。もう一つの理由は、誰でもイエス・キリストを信じて、その御名により頼んで、神の力を現すことができるように願われたからです。
このような主のお心を知っているので、私は全知全能の神様を信じて、ふさわしい資格を備えるために努めてきました。私は父なる神様に、また聖徒には、それ以上差し上げるものがないと言っても言い過ぎでないほど、私にあるものを惜しまずにささげては、またささげてきました。その中には多くの涙はもちろん、いのちそのものと言われた血も含まれています。
[詩篇126:5]に「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」とあります。私はこのように言われた真実な神様に、また、神様の愛と皆さんの愛により頼んで、一日一日を耐えてきました。そうしながら「父よ、私にゆだねられた聖徒です」と、皆さんを心にいだいて祈りました。
ですから、皆さんも、皆さんが求めるとおりにしてくださる主を堅く信じますように。新年にはただ感謝だけささげながら、良い管理者になるまで絶えず努力し続けますように。そうするとき、罪との戦いをすみやかに終えて、嵐がやんだ後の晴れた空のような、希望に満ちた新年を迎えるようになると信じます。2013年に涙をもって蒔いた種を、2014年には祝福の実として豊かに刈り取りますように、主の御名によって祝福して祈ります。

 
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